2024年5月 7日 (火)

車椅子仲間の麻雀会

2024年の大型連休も終わった。
連休中の53日にOさん宅に車椅子の仲間が5人集まり麻雀会を開いた。
この集まりはコロナで中断していたもの。コロナ前は年に一回は開いていた。

仲間の皆は脳性麻痺や頸椎損傷や筋ジスなどのため車椅子利用者だ。介助者と参加だ。
みんな手が利かないので介助者に助けてもらう。
牌を混ぜること、積むこと、取ってくること、捨てること、点棒のやりとりなどすべて介助者にやってもらう。
障害者本人がやることは捨て牌や食う牌を決めること。決めたら介助者にやってもらう。

そんな二人一組麻雀なので進行はのんびりしたもの。ゲームをやっている感覚よりも親善の意味合いが強い。時間を気にすることもなく勝負にとらわれることもなくゆるゆるとやる。
この日も1時に始まり4時半までやった。5人が出たり入ったり面子が時々替わる。
こんな麻雀だが顔を合わせることに、外出することに意味があるのかな。
場所を提供してくれたOさんありがとう。
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バックの野球はTVの画面

2024年4月19日 (金)

ハッピーイースター

4月18日ディでハッピーイースターのイベントがあった。
今年のイースター(復活祭)331日が暦の上だったが、ディでは418日にお祝いをした。

先ず、昼食はランチマットが卵、ひよこ、ウサギのお楽しみな絵だった。
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メニューはオムライス、かぼちゃと卵白とレーズンの和え物、甘酢生姜、卵とじスープだった。
オムライスは美味しく、甘酢生姜の口当たりが一味あった。
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時のおやつはしっかりした味のプリンをいただいた。
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時半からのゲームはK職員が考えたフライエッグ風船送り競争だった。
ビニールの袋に卵型の小さいビニール風船を沢山入れ、団扇で風を送り全部を袋から出したチームが勝ちというもの。
三チームに分かれ二ゲームやった。
景品が出るわけでもないのに皆さん和気あいあいとしてやっていた。
私は手が利かないので見物。
季節の行事にちなんだディでの遊びも刺激になる。
企画してくれたK職員ありがとう。
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2024年4月14日 (日)

柳本吟扇先生の永眠

2024年410日に詩吟の先生が亡くなられたとの手紙が届いた。
お元気に暮らされていた先生が他界されるとはびっくり。

先生には大変お世話になった。
先生は1995年に吟芳流吟扇会を発足された。
1997
年に定年退職した私は、車椅子の体で何か趣味を持ちたいと思っていた。
市の広報に詩吟の会会員募集の記事があり、家内と見学に行った。
1999
23日に入門し、爾来1415年先生からご指導を受けた。

先生は三つの教室を掛け持ちされ4050名の生徒を指導された。
教材はすべて先生の手づくりで筆手書きの原紙をコピーされ配られた。
勿論、節調も手書きだった。
教材は
①冊子の五言・七言絶句400
②冊子の五言・七言律詩 44
③一首ずつコピー用紙になったもの約250
④短歌集―110首のもの10冊位。(春の歌、秋の歌など)
⑤構成吟集―110首のもの3冊位(短歌と漢詩、歌謡曲や民謡と漢詩など)
⑥その他の詩吟集―数冊
と膨大なものだった。
今も大切に大きな袋に入れて保管し、月1Oさんと復習会を開きボケを防止している。

私の教室は7月に発足したので「ふづき会」と称した。
1回の勉強会、昇段試験、ほかの教室との合同の発表会や新年会を先生のご指導の下に行っていた。いい思い出だ。
勉強会では教本を1首ずつ先生が吟じられ、一人ずつ吟じさせられ指導を受けた。
さらに先生は各自のカセットテープに吹き込んで下さった。他の流派では録音厳禁とも聞いた。

2013
(平成25)1031日が銀扇会最後の吟詠大会となった。
この日の会主挨拶で、会場が改築すること、先生が転居されること、体調が芳しくないなど諸々の事情から、この日をもって会は解散しますとおっしゃられた。
この日の先生の吟詠は「小督の局 角光嘯堂」だった。素晴らしい吟であった。
ブログに吟を添付しました。お聞きください。

その後も電話や手紙で連絡していた。
賀状が来なくなったなあと思っていたら突然の訃報。
柳本銀扇先生、本当に長い間ご指導いただきありがとうございました。
お陰様で私にも「趣味は」と聞かれたら「詩吟です。」と答えられるものを身につけることができました。
2024
36日永眠された先生、安らかにお眠り下さい。
そして、2008年に逝った妻にお会いされましたら談笑して下さい。
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2013年10月25日先生の吟 

吟詠「小督の局 角光嘯堂」 

 

2024年4月 6日 (土)

記念公園の桜

都心は桜が満開の6日、昭和記念公園の桜は?と花冷えの今日ふらりと行ってみた。
多摩地区の桜はまだまだ満開には行っていない。4分~5分咲きというところ。
それでも花見客は三々五々現れている。芝生に持参のビニールを敷き、大声を出すこともなく
咲き始めた桜の花に見入っている。
テント張りが多い。これが最近の花見の傾向か。

レンギョウ、雪柳、などの春の花も咲き揃っていた。
コンビニで買った(かんぴょう巻きとお稲荷)の弁当を食べ、ほうじ茶を飲みながら桜の花を眺める。
たったこれだけでコロナも世の憂さもどこかへ飛んで行く。
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2024年3月16日 (土)

彼岸前の墓参り

コロナ入院で退院後一ヶ月経った3/15、久しぶりの墓参り。
いつも通りスーパーでお花とお線香を求めお寺に。
春のお彼岸前で参拝客数組と少ない。
気温が15℃と暖かい日で良かった。

墓を洗いお花を供えお線香を上げる。風は強くなくお線香に火が直ぐ付く。
亡き人々にお参りし関係者の安全と健康を祈る。
境内の桜は黒い蕾、アジサイは緑の芽を出している。

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アジサイの新芽ー春近し

2024年3月 5日 (火)

ディのひな祭り

3/4にディでひな祭りがあった。
昼食は田麩入りの混ぜご飯、ピンクの田麩が目にあざやか。酢飯の甘酢の味もほどほどだ。
ひな祭りの雰囲気を盛り上げてくれる。
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昼の休憩後、三つのグループに分かれてゲームを二つ。
最初は紙コップにお内裏様と三人官女の写真を貼り付けた人形の団扇送り。団扇から団扇への引き渡しにコツがいる。二回やったが、二回目の方が皆さん慣れたせいか早かった。
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次のゲームは雛あられ送り。雛あられに見立てた小さなゴムボールを箸でつまんで順繰りに送るもの。箸から箸への渡しは難しいので一度テーブルに置きそれを次の人が箸ではさむ。
それでも細かい手作業なので、皆さん苦労されていた。
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ひな祭りの最後は桜餅作り。そして三時のおやつに。
ビンク色の溶いた皮を鉄板で軽く揚げ、桜の葉っぱの上に。あんは事前に用意し、食べる時に皮で巻く。桜葉の塩っ気が何ともいえない雰囲気を感じさせる。
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ディでの季節季節の催しは刺激の少ない高齢者にとって楽しみの一つ。
通所の曜日が決まっており、曜日にによっては参加できないイベントもあり、これが残念なこと。
いつもながら限られた予算の中で、色々工夫される職員の皆さんに感謝のみ。

2024年2月27日 (火)

4年ぶりの新年会

大分経ってしまいましたが、1/3114時から16時、障害者仲間の新年会が4年ぶりに開かれた。場所は市内のカフェ。(この日は体に異常はなかったがコロナに感染していたと思われる。22日に入院した。)
身体、知的、精神障害者がヘルパーも含め40人ほど集まった。
各自ドリンクメニューから注文し、歓談する。コロナなのため久しぶりに会って話が盛り上がる。
やはり対面で障害の仲間と話し合うのは楽しい。

2024年2月25日 (日)

コロナ患者で2回目の入院

2022年12月にコロナ感染で入所して以来の隔離。
2024/2/2
2/14の間、S病院に入院した。
今回2回目のコロナ感染はどこでなったのか分からない。
1/29(
)ディサービスで一日生活
1/30(
)終日家で、喉痛く風邪気味
1/31(
)喉痛続く、食欲不振、会合で外出
2/1(
)喉痛、発熱のため検査キット購入しチェック、陽性

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時間の生活は介助者のヘルプで送っている。ヘルパーにコロナを移すと介護事業所のローテーションが難しくなる。五類に移行したので、自宅療養も可能だがヘルパー感染、介護事業所のことを考えると入院がベストと考える。
2/2(
)9時過ぎにS病院入院が決定。10:50頃救急車に乗り約20分で病院の救急外来着。

早速、レントゲン、心電図、採血、鼻汁採取の諸検査。
救急外来担当M先生からの質問
先生「人工呼吸器を着けるようになったらどうしますか。」
私「苦しく日常生活が送れないようだったら装着しません。」
先生「私もあなたの年ならそう考える。」
どうも血液検査の結果炎症反応?の数値が良くないらしい。
標準値0.3に対し、145?入院1週間後に測定したら5に、退院前は1になっていた。

救急外来から8階のコロナ病棟に移動。
この日2/2から2/10までここにお世話になり、2/10から通常病棟に移る。
携帯電話は持参したがうまく持てず、ほとんど外部との連絡が取れず困った。
ベッド上の生活が続いた。目をつむるか眠っているかだ。
体位変換、紙おむつの処理、毎食事時のベッド起こし、週2回の全身清拭などで体を動かすのみ。
食事は71218時で毎回寝ているときに起こされるので食欲なくほぼ1/3をなんとか食べた。リンゴ、オレンジ、バナナの果物は完食した。
食が進まないと看護師に「点滴になりますよ」とおどされる。
2/7
の採血の結果、炎症反応は5となり入院続く。連休明けの2/13再度採血したら炎症反応は1と下がり2/14退院となる。
退院時も紙パンツを履いたまま移動したので太ももの内側に紙の先端が当り痛いこと痛いこと。
車中は苦痛に耐え、帰宅早々車椅子から滑り落ちるように床に横になる。

退院後10日になるが、全身の疲れ、味覚障害(特に甘味)、食欲不振の副反応が残っている。
これらは時間が解決してくれるのだろう。

2024年2月23日 (金)

すい臓がんで逝った人―叶井俊太郎さん

漫画家の倉田真由美さんの夫で、映画プロデューサーの叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)さんが16日、都内の自宅で死去された。56歳。東京都出身。

倉田さんの2310月発表によると、叶井さんは20226月にステージ3の膵臓(すいぞう)がんで「余命半年」の診断を受けた。
抗がん剤などの標準治療を受けず、最後まで通常通りに生活を続けることを選択していた。倉田さんによると、叶井さんが亡くなったのは16日午後11時ごろ。
今月5日まで自転車通勤するほど体力もあったが、その後容体が急変。亡くなる前日の15日に「散歩に行きたい」と言われたが、自宅近くのゴミ捨て場までしか行くことができず、すぐに帰宅。16日については「朝ご飯を食べながら夫婦で何げない会話をしていました。そんな日になるとは思わなかった」と深い悲しみに声を落とした。と報じられた。
ご冥福をお祈り申し上げます。

私の妻は20071月に腰痛を訴え、検査の結果すい臓がんと判明。手術はせず化学療法と代替医療とで治療に努めた。2007年の3月から自宅で生活したが2008年の2月から緩和ケアのお世話になり他界するまで睡眠状態だった。
叶井さんのように最後まで普通生活を送られた人には驚きです。
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2024年1月 5日 (金)

令和6年新春吟詠二日目

新春吟詠二日目は1月3日のNHKFMで9:40~9:55の予定であったが、「第100回東京箱根間往復大学駅伝競走」を放送している。新春吟詠はどの時間帯かなと調べると4日の同じ時刻に変更となる。4日はディサービスに行ったので帰宅後らじる★らじるで聞く。
相変わらず師匠方々の美声に聞き惚れた。

「和歌 敷島の」 本居宣長

敷島の やまと心を 人とはば朝日に匂ふ 山さくら花

 

「雪梅」 方岳

梅有り雪無ければ精神ならず

雪有り詩無ければ 人を俗了(ぞくりょう)

薄暮 詩成って天又雪ふる

梅と併(あわ)せ作()す 十分の春

「事に感ず」  于濆(うふん)

花開けば 蝶 枝に満つ

花 謝(しゃ)すれば 蝶 還(また)稀なり

唯 舊巣(きゅうそう)の燕有り

主人貧しくも 亦(また)帰る

「和歌・後(おく)れなば」 河上弥市

(おく)れなば 梅も桜に 劣(おと)るらん 魁(さきがけ)てこそ  色も香もあれ

 

「新正口号(しんせいこうごう)  武田 信玄

淑気(しゅくき)未だ融(ゆう)せず 春尚お遅し

霜辛雪苦(そうしんせっく) 豈(あに)詩を言わんや

此の情(じょう)()ずらくは 東風に咲(わら)われんことを

吟断(ぎんだん)す 江南の梅一枝(うめいっし)

 

「三樹(さんじゅ)の酒亭に遊ぶ」 菊池 渓琴

(けむり)濃(こま)やかに山淡くして 晴沙(せいさ)に映ず

日(ひ)落ちて春楼(しゅんろう) 細雨斜めなり

朦朧たり 三十六峰の寺

箇箇(ここ)の鐘声 緩やかに花を出()

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