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2009年6月

2009年6月29日 (月)

暑い!! 暑い!!

ここ数日30度を越す暑い日が続く

自律神経が年とともに働かないのか、発汗作用もにぶい


寝る時は窓を開けられない
部屋の仕切りを開けておくだけ


どうも室内での熱中症にかかったか
だるく、食欲もなく、のども痛い


水分補給とアイスノン、そして横になっているだけ
今夜は少し気温が下がり助かる。

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羽衣の舞・高知県

2009年6月25日 (木)

今年度初の出前講座

梅雨晴れの半日、S高校の二年生と車椅子の仲間三人で交流してきた。
ねらいは総合(奉仕):社会貢献
~車椅子ユーザーの生活を考えよう~


三回シリーズで5/7はお互いの自己紹介、私のグループは9人、みんな真剣に取り組んでくれた。
6/4はグループのみんなと町を歩き、モノレールを一駅乗る。町の中のバリアーを探しながら。
最後の今日は二人一組で折り畳み車椅子を操作しながら近くの大型スーパーに買物体験。


終わってから校内のラウンジで振り返り。
彼らの若いパワーが災害時には大きな助けになる。
短い触れ合いだったが、彼らが少しでも介助の喜びを持ってくれたら目的は達せられる。

これからも機会があれば交流したい若者たちだ。

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横断歩道を渡る高校生
車椅子が小さく見える

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ラウンジでの振り返り

2009年6月23日 (火)

蘇台覧古  李白

     呉王夫差の宮殿のあった姑蘇台(こそだい)を訪れ昔を偲んでの作


舊苑(きゅうえん)の荒台(こうだい) 楊柳新なり
菱歌(りょうか)高唱 春に勝(た)えず
只今 惟(ただ) 西江(せいこう)の月のみ有りて
曾て照らす 呉王宮裏(きゅうり)の人

昔の庭園の台は荒れ果て柳だけが新たに芽を吹き
菱をつむ女たちの清らかな歌声が聞こえて春の思いに耐えきれない
昔を偲ばせるものは何もないが只昔ながらにあるのは西江(せいこう)を照らす月の光だけで
この月はかって呉王宮殿の西施を照らしたことであろう


(蘇台)姑蘇台
(覧古)古跡を尋ね昔を想う
(
舊苑(きゅうえん))昔の庭
(菱歌(りょうか))菱取りの歌


李白は、この詩に関連した懐古詩「越中懐古」も作っている。中国数千年の興亡史を想う。映画「レッドクリフ2」を観たが、登場人物、時代は違うものの呉越の抗争も映画の場面のようだったかも知れない。

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2009年6月20日 (土)

すい臓がんで逝った人

評論をはじめ幅広い執筆活動で知られ、推理小説やSFの作家として栗本薫の名前でも活躍した評論家の中島梓(なかじま・あずさ、本名今岡純代=いまおか・すみよ)さんが5月26日午後7時18分、膵臓がんのため東京都品川区の病院で死去された。56歳。東京都出身。

今の世では若い死であろう。栗本薫、中島梓の2つの名前を使い分け、テレビのクイズ番組にレギュラー出演し、ミュージカルの脚本、演出も手がけるなど、多彩な才能を発揮された。

2007年末に膵臓がんの手術を受け、自宅療養を続けていた。病床でも執筆を続け、08年夏には闘病記「ガン病棟のピーターラビット」を刊行した。(47ニュースより)

今日、市の図書館に行ってこの本(ポプラ社)を借りてきた。これから暫く読み続けよう。中島さんは発病から約1.5年で旅立たれた。 妻も発病し診断を受けてから、ほぼその位の期間で他界した。すい臓がんはやっかいな病気だ。

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写真は47ニュースより

2009年6月19日 (金)

今年の墨田の花火

梅雨の晴れ間に、今年もあじさい「墨田の花火」がいい色合いできれいに咲いている。
妻が生前どこかから枝をもらってきて挿し木をしたもの。

庭の金網にクレマチスも大きな花を開いた。

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2009年6月17日 (水)

桜井の駅  角光嘯堂(かくみつしょうどう)

(作者)京都壬生の儒家に生まれる。
九大国文科卒、文学博士、廣瀬淡窓の塾舎にて漢学を研究、吟詠は淡窓派・宜園宗家、近代詩吟作多し昭和42年没す。


春色 静寂たり 桜井の駅
風雲 惨憺たり 惜別の時
(短歌)

駒とめて 別れを惜しむ 桜井の 青葉がくれに 啼く杜鵑(ほととぎす)
我れ来たって 古を弔う 楠氏(なんし)の霊
忠烈の遺蹟 追憶深し


6月4日の吟芳流吟扇会吟詠大会でSさんと合吟した構成吟。
構成吟とは吟詠の中に短歌や今様や朗読を入れたもの。


作者が桜井の駅に来て、正成・正行の親子の別れという故事を想い、南朝方を弔ったもの。
吟芳流吟扇会の教本には南朝後醍醐天皇に関した詩や幕末の勤皇側の詩が多い。おいおいブログに投稿します。

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石碑「楠公父子訣別之所」、揮毫は陸軍大将乃木希典

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石碑「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」、明治天皇御製、揮毫は海軍大将東郷平八郎


写真の出典: フリー百科事典『ウィキペディ(Wikipedia)』

2009年6月16日 (火)

望郷  阿倍仲麻呂

6月4日の吟詠大会で独吟した漢詩


最初に短歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を朗詠した。


首(こうべ)を翹(あ)げて 東天を望み
心は馳(は)す 奈良の辺り
三笠 山頂の上
想うに又た 皎月(こうげつ)円(まどか)ならん


楊さんのブログより(写真も)
阿倍仲麻呂は698年、奈良に生まれ、717年、19才の時、留学生として遣唐使に従って長安に行く。彼は長安で35年間生活した。
仲麻呂は753年6月、玄宗皇帝の指示で唐王朝の身分のまま遣唐使の藤原清河、副使吉備真備と共に長安を離れ、帰国の途についた。同年10月15日、仲麻呂は楊州で鑑真和尚を表敬訪問し、鑑真を日本に誘った。11月15日、仲麻呂は藤原清河と第一船に、鑑真は第二船に、吉備真備は第三船に、他の人は第四船に乗船して蘇州を出発し渡航は困難を極め、12月6日沖縄を横切る途中で暴風雨に巻き込まれ、大部分の人が遭難した。かろうじて生き残ったのは仲麻呂など十数人で、仲麻呂は暴風に任せ、ベトナムに漂流し、中南島に上陸した。そして、あらゆる困苦辛酸を嘗めながら二年後の天宝十四年六月(755年)に再び長安に戻った。
 この年、安禄山の乱が起こり、その後、彼は玄宗皇帝に従って蜀州へ行き、757年12月、再び玄宗と共に長安に戻った。その後も唐王朝の高級官僚として長安で活躍し、770年、73才で亡くなった

阿倍仲麻呂の記念碑
阿倍仲麻呂の記念碑は興慶宮公園にあります。これは、西安と日本の奈良市の友好都市関係締結五周年を記念して、1979年7月1日に立てられたものです。

大理石作りの美しい記念碑の高さは6.1m、碑の正面には金文字で「阿倍仲麻呂記念碑」と刻まれ、側面には阿倍仲麻呂が故郷の奈良を偲んで詠んだ望郷詩と当時の詩人李白が仲麻呂を哭す詩がそれぞれ彫られています。

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記念碑の東側に彫った仲麻呂の望郷詩

2009年6月13日 (土)

野良猫上がりの花ちゃん

妻の存命中から野良猫が顔を見せるようになり、妻が餌付けをした。名前も「花ちゃん」と付ける。


今も毎日訪れ、夜も一泊するほどに馴れてきた。餌を食べに来ては満腹すると外に出してと要求の泣き声。


外に置いた洗濯物入れのバスケットに丸く寝ていることも度々。室内からガラス越しに寝姿を写した。

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2009年6月12日 (金)

豊島園のあじさい祭り

朝のラジオで豊島園のあじさい祭りを聞く。丁度近くまで行く予定だったので足を延ばして行ってきた。


第7回とある。遊園地の一角をあじさいの丘にしている。写真を撮りながらゆっくり1時間。


育種家の育てた新種や日本各地のヤマアジサイなど150種、10,000株の説明


あじさいは雨に似合う。どの花もくすんだ色合いで洋花のように派手なところはなく落ち着いている。妻も一緒に見てくれただろう。

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エンドレスサマー

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伊予テマリ

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2009年6月 9日 (火)

菖蒲園

家から車椅子で10分程のところに菖蒲園がある。武蔵村山市の下水処理場の中に処理水を利用した池を作り、菖蒲やスイレンの水生植物を長年手入れしている。


6月は無料で一般公開している。子供達はザリガニ取りに熱中し、近くの老人ホームやデイサービスの団体が見に来たり、保育園や幼稚園の園児が弁当持参で遊びに来る。


今日は外出した帰りにふと思いつき行ってきた。近道をしようと下水処理場の正面から入ったら職員に見つかる。菖蒲園用の入り口から入るようにと注意される。頼み込んでそのまま菖蒲園に案内してくれた。年を取っていたから許してくれたか。

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携帯で撮影したが一寸ピンぼけ
色模様を眺めましょう。

2009年6月 4日 (木)

第15回吟扇会吟詠大会

梅雨間近の一日、恒例の吟扇会吟詠大会が行われた。参加者20人ほど、11時から始まり会長挨拶、会主挨拶、会詩合吟と続き独吟の部に。12時半まで独吟をやり昼食。日本酒を少し飲む。
13時半から合吟の部。


今年の圧巻は80歳近い視覚障害者Nさんの独吟。タイトルはどちらも「将進酒(しょうしんしゅ)」という李白作と李賀作を吟じた。いずれも長い古詩だ。吟詠時間10分程度。すべて暗唱している。すごい努力の賜物といえよう。


コバショウは阿倍仲麻呂(中国名:朝衡)作「望郷」を独吟。最初に短歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を朗詠した。
合吟はSさんと構成吟 角光嘯堂(かくみつしょうどう)作「桜井の駅」を。
詩吟の間に短歌「駒とめて 別れを惜しむ 桜井の 青葉がくれに 啼く杜鵑(ほととぎす)」を朗詠。最後に小学唱歌 落合直文作詩「青葉茂れる桜井の」の一番だけ二人で歌った。
最近、新田次郎の「新田義貞」を読んだので、南朝方の武将の末路の哀れを感じた。
今年の吟詠の自己採点はまあまあか。

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独吟阿倍仲麻呂(中国名:朝衡)作「望郷」

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合吟はSさんと構成吟 角光嘯堂(かくみつしょうどう)作「桜井の駅」を。

2009年6月 3日 (水)

越中懐古   李白

(作者)蜀の人
太白(母が身ごもった時、太白星=金星が懐に入った夢を見たので太白という字(あざな)がついたと言う)、青蓮居士と号した。
絶句においては千古第一人者である。


◎越王の古城・会稽を訪れ往時を想って感慨にふけった時の作。


越王勾践 呉を破って帰る
義士 家に還って 尽(ことご)く錦衣(きんい)す
宮女 花の如く 春殿に満つ
只今 惟(ただ) 
鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有り

臥薪嘗胆20年越王勾践は呉王夫差を破って故山に帰った
主のために尽くした将兵は恩賞の錦をまとって家に帰り
宮女は花のように春の宮殿に満ちた
おごれるものは久しからずたちまち楚の国に亡ぼされ今はただしゃこが淋しく飛んでいるだけだ


鷓鴣(しゃこ))うづらより大型のキジ科の鳥


懐古詩は「稲叢懐古」「芳野懐古」やこの詩のように歴史の栄枯盛衰を短い詩型の中に歌い込んでいる。
李白はこの詩に関係した「蘇台覧古」も作っている。覧古(らんこ)とは古跡を尋ね昔を想うこと。

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