望郷 阿倍仲麻呂
6月4日の吟詠大会で独吟した漢詩
最初に短歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を朗詠した。
首(こうべ)を翹(あ)げて 東天を望み
心は馳(は)す 奈良の辺り
三笠 山頂の上
想うに又た 皎月(こうげつ)円(まどか)ならん
楊さんのブログより(写真も)
阿倍仲麻呂は698年、奈良に生まれ、717年、19才の時、留学生として遣唐使に従って長安に行く。彼は長安で35年間生活した。
仲麻呂は753年6月、玄宗皇帝の指示で唐王朝の身分のまま遣唐使の藤原清河、副使吉備真備と共に長安を離れ、帰国の途についた。同年10月15日、仲麻呂は楊州で鑑真和尚を表敬訪問し、鑑真を日本に誘った。11月15日、仲麻呂は藤原清河と第一船に、鑑真は第二船に、吉備真備は第三船に、他の人は第四船に乗船して蘇州を出発し渡航は困難を極め、12月6日沖縄を横切る途中で暴風雨に巻き込まれ、大部分の人が遭難した。かろうじて生き残ったのは仲麻呂など十数人で、仲麻呂は暴風に任せ、ベトナムに漂流し、中南島に上陸した。そして、あらゆる困苦辛酸を嘗めながら二年後の天宝十四年六月(755年)に再び長安に戻った。
この年、安禄山の乱が起こり、その後、彼は玄宗皇帝に従って蜀州へ行き、757年12月、再び玄宗と共に長安に戻った。その後も唐王朝の高級官僚として長安で活躍し、770年、73才で亡くなった
阿倍仲麻呂の記念碑
阿倍仲麻呂の記念碑は興慶宮公園にあります。これは、西安と日本の奈良市の友好都市関係締結五周年を記念して、1979年7月1日に立てられたものです。
大理石作りの美しい記念碑の高さは6.1m、碑の正面には金文字で「阿倍仲麻呂記念碑」と刻まれ、側面には阿倍仲麻呂が故郷の奈良を偲んで詠んだ望郷詩と当時の詩人李白が仲麻呂を哭す詩がそれぞれ彫られています。
記念碑の東側に彫った仲麻呂の望郷詩



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