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2024年2月

2024年2月27日 (火)

4年ぶりの新年会

大分経ってしまいましたが、1/3114時から16時、障害者仲間の新年会が4年ぶりに開かれた。場所は市内のカフェ。(この日は体に異常はなかったがコロナに感染していたと思われる。22日に入院した。)
身体、知的、精神障害者がヘルパーも含め40人ほど集まった。
各自ドリンクメニューから注文し、歓談する。コロナなのため久しぶりに会って話が盛り上がる。
やはり対面で障害の仲間と話し合うのは楽しい。

2024年2月25日 (日)

コロナ患者で2回目の入院

2022年12月にコロナ感染で入所して以来の隔離。
2024/2/2
2/14の間、S病院に入院した。
今回2回目のコロナ感染はどこでなったのか分からない。
1/29(
)ディサービスで一日生活
1/30(
)終日家で、喉痛く風邪気味
1/31(
)喉痛続く、食欲不振、会合で外出
2/1(
)喉痛、発熱のため検査キット購入しチェック、陽性

24
時間の生活は介助者のヘルプで送っている。ヘルパーにコロナを移すと介護事業所のローテーションが難しくなる。五類に移行したので、自宅療養も可能だがヘルパー感染、介護事業所のことを考えると入院がベストと考える。
2/2(
)9時過ぎにS病院入院が決定。10:50頃救急車に乗り約20分で病院の救急外来着。

早速、レントゲン、心電図、採血、鼻汁採取の諸検査。
救急外来担当M先生からの質問
先生「人工呼吸器を着けるようになったらどうしますか。」
私「苦しく日常生活が送れないようだったら装着しません。」
先生「私もあなたの年ならそう考える。」
どうも血液検査の結果炎症反応?の数値が良くないらしい。
標準値0.3に対し、145?入院1週間後に測定したら5に、退院前は1になっていた。

救急外来から8階のコロナ病棟に移動。
この日2/2から2/10までここにお世話になり、2/10から通常病棟に移る。
携帯電話は持参したがうまく持てず、ほとんど外部との連絡が取れず困った。
ベッド上の生活が続いた。目をつむるか眠っているかだ。
体位変換、紙おむつの処理、毎食事時のベッド起こし、週2回の全身清拭などで体を動かすのみ。
食事は71218時で毎回寝ているときに起こされるので食欲なくほぼ1/3をなんとか食べた。リンゴ、オレンジ、バナナの果物は完食した。
食が進まないと看護師に「点滴になりますよ」とおどされる。
2/7
の採血の結果、炎症反応は5となり入院続く。連休明けの2/13再度採血したら炎症反応は1と下がり2/14退院となる。
退院時も紙パンツを履いたまま移動したので太ももの内側に紙の先端が当り痛いこと痛いこと。
車中は苦痛に耐え、帰宅早々車椅子から滑り落ちるように床に横になる。

退院後10日になるが、全身の疲れ、味覚障害(特に甘味)、食欲不振の副反応が残っている。
これらは時間が解決してくれるのだろう。

2024年2月23日 (金)

すい臓がんで逝った人―叶井俊太郎さん

漫画家の倉田真由美さんの夫で、映画プロデューサーの叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)さんが16日、都内の自宅で死去された。56歳。東京都出身。

倉田さんの2310月発表によると、叶井さんは20226月にステージ3の膵臓(すいぞう)がんで「余命半年」の診断を受けた。
抗がん剤などの標準治療を受けず、最後まで通常通りに生活を続けることを選択していた。倉田さんによると、叶井さんが亡くなったのは16日午後11時ごろ。
今月5日まで自転車通勤するほど体力もあったが、その後容体が急変。亡くなる前日の15日に「散歩に行きたい」と言われたが、自宅近くのゴミ捨て場までしか行くことができず、すぐに帰宅。16日については「朝ご飯を食べながら夫婦で何げない会話をしていました。そんな日になるとは思わなかった」と深い悲しみに声を落とした。と報じられた。
ご冥福をお祈り申し上げます。

私の妻は20071月に腰痛を訴え、検査の結果すい臓がんと判明。手術はせず化学療法と代替医療とで治療に努めた。2007年の3月から自宅で生活したが2008年の2月から緩和ケアのお世話になり他界するまで睡眠状態だった。
叶井さんのように最後まで普通生活を送られた人には驚きです。
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