今朝6時一寸前、寝ていたら急に右の胸が突き刺すように痛む。呼吸はハアーハアー、冷や汗たらたら、少し気持が悪くなる。
二階に寝ていた娘を起こし、背中をさすってもらうが胸の痛みは直らず。救急車を呼ぶ。直ぐ来る。近くの救急隊は救急車と消防車が対で来る。
どこの病院に行きますかと、15分程度で行ける独立行政法人の病院へと頼む。そこは対応できず。
30分かかるがいつも脳神経内科に通院している都立府中病院にと。救命救急センター・府中が受け入れてくれる。
7時救命救急センターに着く。早速心電図、聴診器、その頃には胸の痛み、冷や汗はおさまる。心電図は異常なし。診察の結果は狭心症か胃液の逆流か。心臓は関係ない。右胸が痛いので、もしかしたら心臓かと思っていた。先生に心臓は左と言われ一安心。素人は何にも知らない。
8時半頃に診察は終わる。
脳神経内科の2週間後の外来予約を取ってくれる。
ニトロ舌下錠3錠処方。主治医のいる病院の対応は素早いので助かる。
娘と派遣を依頼したヘルパーと10時前にタクシーで帰宅。
その後、体調は通常。昼から落語家・医師の立川らく朝の落語を聞きに。笑いは病気に良い、何冊も本を出しているのでお買い求めをと宣伝。
原因は分からないが考えられることとして昨晩飲んだ薬の副作用かも。口内炎・歯槽膿漏の治療薬メイアクト・レフトーゼ・フロベン各1錠を寝る前に飲んだ。調べると各薬ともアナフィラキシー様症状の副作用がある。今度外来に行った時聞いてみよう。
救急車の世話になったのは5~6年前以来。その時は、電動車椅子の転倒防止バーを折り畳んだままコンクリートの坂を上り、後頭部からひっくり返った。手足の先まで電流が走った感じがした。1ヶ月間、食が進まず体重が減った。妻に笑われた事件。
毎年年末にやる内視鏡検査を年明けにやってきた。
サラリーマン時代は回転台に乗りレントゲン撮影だった。体が不自由になってから内視鏡検査に切り換えてもらった。
数年前までは口から管を入れていた。その後、鼻からの方法に代わる。鼻からの方が画像を見ながら医師と話ができ、管の通りもいい。
10数年前初期の胃潰瘍と診断され、その後ずっと「ザンタック」を服用している。今回も上部消化器に異常はなかった。これでまたほどほどに酒が飲める。
12/9にやった健康診査結果が出た。
今年からメタボの判定が項目に入る。案の定、メタボリックシンドローム判定は1.基準該当に○となる。食事の量は多くないが車椅子生活のせいかな。ウエスト91.5cmにはびっくり。
毎年医師に最後の所見欄に「高血圧症」と書かれる。今年も書かれた。
血圧167/83、HDLコレステロール65mg/dl、心筋肥大などなど
γ-GTP133でここ数年三桁から下がらない。酒量は年とともに落ちているのに。
降圧剤の服用を医師に言われるがまだ踏み切っていない。来年の結果は?
いつも疑問に思うこと健康診査という言葉、健康検査という言葉になれていたが。
今年もインフルエンザの予防注射をようやく済ませた。
ウイルスの型が違えば効き目はないが、気休めとはいいながら万一に備えて。
注射代の一部を市が負担してくれるので、自己負担は2,200円。
市町村によって自己負担は異なるようだ。数年前に我孫子市在住の友人は自己負担なしと言っていたが昨今はどんなかな。
この予防注射は承諾書に立会人のサインが必要。いままでは妻の昭子と行っていたのでサインは昭子に頼んでいた。
今回はヘルパーと行った。サインは身内にかぎるということで、身内のサインが無理な場合は?:結局診察した医師がサインをした。
東京都で鉄道の走っていないのは武蔵村山市と桧原村か。
もっとも、武蔵村山市には数年前からモノレールは通っているが。
昔、昭和の初期までは、武蔵村山市にトロッコを引く機関車が走っていた。大正5年(1916)東京市の水道不足に備えるため村山貯水池(多摩湖)建設工事が始まる。
多摩川の水を羽村から引き入れる導水管設置のため、材料運搬用の線路が一部敷かれた。
その後、東京市の人口増加により山口貯水池(狭山湖)が建設されることとなる。
昭和3年(1928)4月から砂利運搬用の軽便鉄道が羽村から山口貯水池堰堤南端まで敷かれた。全長12.6kmの短区間に5ヶ所の交換所、運行密度の高さを想像させる。
昭和19年(1944)に撤去(戦時供出か)され、軌道跡は現在、野山北公園自転車道として利用されている。――― 武蔵村山市立歴史民俗資料館資料より
東京と埼玉県境の里山から軽便鉄道跡を回る街中ウォーキングにヘルパーと行ってきた。
最寄りの駅から約4km里山の住宅街から雑木林に入り木洩れ日を受けながら軽便鉄道跡を。
昼食はゴールの「かたくりの湯」で村山うどんを食べる。つやが良く歯ごたえ十分のうどんだった。次回は新緑の季節に行ってみるか。
住まいの近くにこんな場所があるとは、灯台もと暗しなりや。
3~4年前にポップサーカスが当市に来た。何十年ぶりのサーカスを観たいと思いヘルパーと行った。音楽はテンポの速いポップ調。団員は国際色豊か。残念ながら出演動物は犬のみ。
今年は木下サーカスが来てくれた。優待券が二枚運良く手に入りヘルパーと行ってきた。
5月9日の金曜日は午後二回公演で最初の13時から15時の部を観た。テント張りの会場の中はテンポの速い音楽と暗闇に光の照明で目が疲れた。
沢山の動物の出演がこのサーカスの売りのようだ。キリンの高さに驚き、二頭の象の曲芸に感心し、最後は猛獣の動きに拍手。円形のサーカスの舞台を金網で柵をし、天井はネットの覆い。その中に猛獣使いとライオン4頭、トラ4頭、ライガー2頭が入り、ムチ一つで10頭の猛獣が跳んだり、はねたり、立ったり、寝たりと観客を楽しませてくれた。
席が前から4列目だったため空中ブランコは首が痛くなった。
フイナーレは約30名の団員が総出演で送ってくれた。
終戦直後、シバタサーカスを観た。その頃の音楽は生バンドでクラリネットの「天然の美」
のメロデーやブラスのジンタが哀愁を漂わせ、旅から旅への思いを感じ子供心について行ってみたいと思ったものだ。
今はテンポの速い音楽で明るすぎるくらいの雰囲気だ。
サーカスと聞くと「サーカスの唄」(昭和9年 作詩西条八十 作曲古賀政男)を口ずさむ。終戦直後に大人が歌っているのを聞いて覚えたのだろうか。
旅のつばくろ 淋しかないか
おれもさみしい サーカス暮らし
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妻が存命中、1999年頃から始めている市の機能回復プールに半月ぶりに行ってきた。
重度障害者のコバショウの運動不足を妻が一緒に付き合ってくれた。その後ヘルパーにバトンタッチし現在にいたっている。
低気圧の通過で風雨が強い日だった。悪天候で利用者は5人と少なかった。約40分体を動かした。桜も散っている。
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