漢詩と詩吟

2025年5月 7日 (水)

将進酒 李白 

李白734年李白33歳の秋、李白は友人に招かれて嵩山(すうざん…1510メートル。河南省にある山で、中国五岳の1つ。少林寺で有名。北側を黄河が流れる)に登り、友人の山荘で、詩に登場する岑夫子、丹丘生と酒盛りをした時の詩
(
中国語スクリプトより)

君見ずや黄河の水天上より来たるを

奔流して海に到りて復(また)回(かえ)らざるを

君見ずや高堂に明鏡の白髪を悲しむを

朝(あした)には青糸(せいし)の如きも暮(くれ)には雪となる

人生意を得れば須(すべか)らく歓(かん)を尽くすべく

金樽をして空(むな)しく月に対せしむる莫(なか)れ

天の我が材を生ずる必ず用有ればなり

千金散じ尽くせば還(ま)た復(ま)た来る

羊を烹(に)、牛を宰(ほふ)りて且(しば)らく楽しみを為(な)せ

会(かなら)ず須(すべか)らく一飲(いちいん)三百杯なるべし

(朗読)

岑夫子(しんふうし)よ、丹丘生(たんきゅうせい)よ

将(まさ)に酒を進めんとす、杯停(とど)むること莫(なか)れ

君が与(ため)に一曲を歌わん


請う君我が為に耳を傾けて聴け

鐘鼓饌玉(せんぎょく)は貴(とうと)ぶに足らず

只(ただ)願わくば長(とこしな)えに酔いて醒(さ)むるを用いず

古来聖賢は皆寂寞(せきばく)

只(ただ)飮者のみ其の名を留(とど)むる有る

陳王昔時平楽(へいらく)に宴(えん)し

斗酒十千歓謔(かんぎゃく)を恣(ほしいまま)にす

主人何為(なんす)れぞ銭少しと言うや

径(ただ)ちに須(すべか)らく沽(か)い取りて君に対して酌(く)むべし

五花の馬

千金の裘(かわごろも)

児(じ)を呼び将(も)ち出して美酒に換えしめ

爾(なんじ)と同(とも)に銷(け)さん万古の愁い

(訳)
君は見ないか黄河の水は天上から発し
奔流して東海に至ってもう帰らないのを
君は見ないか高殿の明鏡に写して白髪を悲しむ人を
朝には黒糸のようだったのが夕方には雪のようになっているのだ。
人間の一生は心のままに面白いことをし尽せよ
黄金の酒樽をあだに月に照らさせておくな
天がわが才能を与えたのは必ず役立てるためだ
大金を使いつくしてもまた戻ってくる
羊を煮たり牛を割いたりして楽しもう
一度の宴会で三百杯は飲まねばならない
(
朗読)
岑夫子(しんふうし)よ、丹丘生(たんきゅうせい)よ

酒をすすめるが杯を置いてはならない

どうかきみたち私のために耳を傾けて聞いて下され
贅沢な暮らしなどどうでもいい
只願うのはいつまでも酔っていて醒めないことだ
古来聖人賢者とは寂しいものだ
ただ酒飲みだけがその名を残している
陳王は昔平楽観で宴会し
一斗一万文の酒を飲んで大騒ぎしたそうだ
主人の私がどうして金が不足などというものか
すぐに酒を買ってきて互いに酌み交わそう
美しい馬と
高価な毛皮の服
これらを召使に持たせうまい酒と換えさせ
君たちと一緒に尽きぬこの愁いを消そうではないか

2025年1月 3日 (金)

令和7年新春吟詠二日目

今日も1020分からNHKFMで新春吟詠を聴いた。聴きながら節調を真似してみた。
なかなか難しい。私の学ぶ吟芳流とはかなり違う。
毎年思うことだが、新春吟詠は春にふさわしい和歌・漢詩を選曲している。

「和歌・君がため」   光孝天皇

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ

「寒梅」   新島 襄

庭上の一寒梅 
笑って風雪を侵(おか)して開く
争わず 又 力(つと)めず
自ずから 百花の魁(さきがけ)を占(し)む

「春風」   白居易

一枝 先()ず発(ひら)く 苑中の梅

桜杏桃梨(おうきょうとうり)次第に開く

薺花(せいか楡莢(ゆきょう) 深村の裏(うち)

()た道()ふ 春風 我が為に来たると

「和歌・わが園に」   大伴旅人

わが園に 梅の花散る 久方の 天(あめ)より 雪の流れ来るかも

「城東の荘に宴す」   崔 敏童

一年始めて一年の春有り
百歳曽って百歳の人無し
能く花前に向って幾回か酔わん
十千酒を沽()うて貧を辞すること莫かれ

「名槍日本号」    松口月城
美酒元来 吾が好む所

斗杯傾け尽くして人(ひと)を驚倒

古謡一曲 芸城(げいじょう)の中(うち)

呑み取る名槍日本号

2025年1月 2日 (木)

令和7年新春吟詠一日目

今年もNHKFM1020分から吟詠を聴いた。
相変わらず師匠の皆さんの声量に感服する。
日々研鑽して節調を忘れないようにしたいものだ。

「和歌・さしのぼる」   明治天皇
さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは 心なりけり

「宝船」   藤野君山

寿海波平らかにして 紅旭鮮やかなり
遥かに看る宝字 錦帆の懸るを
同乗の七福 皆笑を含む
知る是金銀 珠玉の船

「弘道館に梅花を賞す」   徳川景山

弘道館中(こうどうかんちゅう) 千樹(せんじゅ)の梅

清香馥郁(ふくいく) 十分に開く

好文(こうぶん)(あに)威武無しと謂()わんや

雪裏(せつり)春を占()む天下の魁(さきがけ)

 

「和歌・山ふかみ」   式子内親王

山ふかみ 春ともしらぬ 松の戸に たえだえかかる 雪の玉水

 

「修学」   夢窓疎石

一日の學問 千載の寶
百年の富貴 一朝の塵
一書の恩德 萬玉に勝る
一言の教訓 重きこと千金

「梅花」   王安石

牆角(しょうかく)  數枝の梅

寒を凌(しの)ぎて  獨り自(おのずか)ら 開く

遙かに知る  是れ 雪ならず

暗香(あんこう)の來(きた)る 有るが 爲なり

2024年5月28日 (火)

行路難  李白

○宦官高力士らの讒言により長安を追われた李白は、放浪の身となる。時に44才。先ず洛陽に向かい、そこで杜甫と出会い高適も加わって江北の各地を巡った頃の作。そして一年後、李白と杜甫は山東の曲阜に近い石門で別れた後二度と会うことはなかった。
○李白には儒家の精神に基づき、天子を補佐すること、文學によって後世に名を残すことという青雲の志があつたのだが・・・・現実社会の障害に苦しんだ。志を遂げられず鬱屈した心が詠まれている。

金樽の清酒斗十千(じっせん)
玉盤の珍羞(ちんしゅう)(あたい)万銭(ばんせん)
(
朗読)
(さかずき)を停(とど)め筋(はし)を投じて食()らう能わず
剣を抜き四顧して 心茫然

黄河を渡らんと欲すれば氷(こおり)川を塞ぎ
将に太行に登らんとすれば雪天を暗くす
閑来釣(ちょう)を垂れて渓上に座し
忽ち復た舟に乗って日辺(にっぺん)を夢む
(
朗読)
行路難(がた)
行路難(がた)
岐路多し
今安(いず)くにか在る

長風浪を破る会(かなら)ず時有り
直ちに雲帆(うんぱん)を挂()けて滄海を済(わた)らん

(
)
黄金の樽のなかの酒は一斗が一万銭
玉の大皿にのった珍しい食べ物もまた一万銭
杯を持つのをやめ箸投げ出したまま、食う気にはならない
剣を抜いてあたりを見て心は呆然とする

 

黄河を渡ろうとすると氷が川を覆い
大行山に登ろうとすると雪が降り空は暗くなる
静かに釣り糸を垂れて渓の上に座る
たちまち船に乗って地平線を夢見るのだ

 

行く道は苦しい
行く道は苦しい
枝分かれした道は多い
今どこにいるのだろうか

風が吹いて波を泡立てる時が必ず来る
その時直ぐに船に帆をかけて滄海を渡ろう

P5150002
紫カタバミ
花の可憐さに騙される帰化植物、根が深く除草が大変



2024年4月14日 (日)

柳本吟扇先生の永眠

2024年410日に詩吟の先生が亡くなられたとの手紙が届いた。
お元気に暮らされていた先生が他界されるとはびっくり。

先生には大変お世話になった。
先生は1995年に吟芳流吟扇会を発足された。
1997
年に定年退職した私は、車椅子の体で何か趣味を持ちたいと思っていた。
市の広報に詩吟の会会員募集の記事があり、家内と見学に行った。
1999
23日に入門し、爾来1415年先生からご指導を受けた。

先生は三つの教室を掛け持ちされ4050名の生徒を指導された。
教材はすべて先生の手づくりで筆手書きの原紙をコピーされ配られた。
勿論、節調も手書きだった。
教材は
①冊子の五言・七言絶句400
②冊子の五言・七言律詩 44
③一首ずつコピー用紙になったもの約250
④短歌集―110首のもの10冊位。(春の歌、秋の歌など)
⑤構成吟集―110首のもの3冊位(短歌と漢詩、歌謡曲や民謡と漢詩など)
⑥その他の詩吟集―数冊
と膨大なものだった。
今も大切に大きな袋に入れて保管し、月1Oさんと復習会を開きボケを防止している。

私の教室は7月に発足したので「ふづき会」と称した。
1回の勉強会、昇段試験、ほかの教室との合同の発表会や新年会を先生のご指導の下に行っていた。いい思い出だ。
勉強会では教本を1首ずつ先生が吟じられ、一人ずつ吟じさせられ指導を受けた。
さらに先生は各自のカセットテープに吹き込んで下さった。他の流派では録音厳禁とも聞いた。

2013
(平成25)1031日が銀扇会最後の吟詠大会となった。
この日の会主挨拶で、会場が改築すること、先生が転居されること、体調が芳しくないなど諸々の事情から、この日をもって会は解散しますとおっしゃられた。
この日の先生の吟詠は「小督の局 角光嘯堂」だった。素晴らしい吟であった。
ブログに吟を添付しました。お聞きください。

その後も電話や手紙で連絡していた。
賀状が来なくなったなあと思っていたら突然の訃報。
柳本銀扇先生、本当に長い間ご指導いただきありがとうございました。
お陰様で私にも「趣味は」と聞かれたら「詩吟です。」と答えられるものを身につけることができました。
2024
36日永眠された先生、安らかにお眠り下さい。
そして、2008年に逝った妻にお会いされましたら談笑して下さい。
20131031016
2013年10月25日先生の吟 

吟詠「小督の局 角光嘯堂」 

 

2024年1月 5日 (金)

令和6年新春吟詠二日目

新春吟詠二日目は1月3日のNHKFMで9:40~9:55の予定であったが、「第100回東京箱根間往復大学駅伝競走」を放送している。新春吟詠はどの時間帯かなと調べると4日の同じ時刻に変更となる。4日はディサービスに行ったので帰宅後らじる★らじるで聞く。
相変わらず師匠方々の美声に聞き惚れた。

「和歌 敷島の」 本居宣長

敷島の やまと心を 人とはば朝日に匂ふ 山さくら花

 

「雪梅」 方岳

梅有り雪無ければ精神ならず

雪有り詩無ければ 人を俗了(ぞくりょう)

薄暮 詩成って天又雪ふる

梅と併(あわ)せ作()す 十分の春

「事に感ず」  于濆(うふん)

花開けば 蝶 枝に満つ

花 謝(しゃ)すれば 蝶 還(また)稀なり

唯 舊巣(きゅうそう)の燕有り

主人貧しくも 亦(また)帰る

「和歌・後(おく)れなば」 河上弥市

(おく)れなば 梅も桜に 劣(おと)るらん 魁(さきがけ)てこそ  色も香もあれ

 

「新正口号(しんせいこうごう)  武田 信玄

淑気(しゅくき)未だ融(ゆう)せず 春尚お遅し

霜辛雪苦(そうしんせっく) 豈(あに)詩を言わんや

此の情(じょう)()ずらくは 東風に咲(わら)われんことを

吟断(ぎんだん)す 江南の梅一枝(うめいっし)

 

「三樹(さんじゅ)の酒亭に遊ぶ」 菊池 渓琴

(けむり)濃(こま)やかに山淡くして 晴沙(せいさ)に映ず

日(ひ)落ちて春楼(しゅんろう) 細雨斜めなり

朦朧たり 三十六峰の寺

箇箇(ここ)の鐘声 緩やかに花を出()

2024年1月 2日 (火)

令和6年新春吟詠

令和6年の新春吟詠はNHKFM9:409:55に放送された。
朝食はお正月のため遅くし、先ずはラジオを聞く。
プロの発声はいつ聞いてもうっとりする。

「和歌・田子の浦ゆ」 山部赤人

田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の髙嶺に 雪は降りける

「春流(しゅんりゅう)」  北條 時頼

春流(しゅんりゅう) 岸よりも高く

細草(さいそう) 苔よりも碧(みどり)なり

小院(しょういん)人の到る無く

風来たって 門自ずから開く

 

「春の花を尋ぬ」 菅 三品

五嶺(ごれい)蒼々(そうそう)として雲往来す

但(ただ)憐れむ大庾(たいゆう)万株(まんしゅ)の梅

誰か言う春色東(ひんがし)()り到ると

(つゆ)暖かにして南枝花始めて開く


「和歌・石ばしる」 志貴皇子

石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌え出づる 春になりにけるかも

「絶句 江碧(こうみどり)に」  杜甫

江碧にして鳥愈白し

山青くして花然えんと欲す

今春看(みすみす)又過ぐ

何れの日か是れ帰年ならん

 

「同前に和し奉る」     崔恵童

一月(いちげつ)主人笑らうこと幾回ぞ

相逢(あいあい)相値(あいあうて)(しば)らく杯(はい)を銜(ふく)

()に看()る 春色流水のごときを

今日(こんにち)の残花昨日開く

2023年12月23日 (土)

沙邱城(さきゅうじょう)下にて杜甫に寄す 李白

○李白と杜甫は中国最高の詩人として並び称される存在であり、また李白は杜甫より11歳年長であるもののほぼ同時代人である。
この2人は744年に洛陽で出会い、意気投合して山東や河南を中心に1年半ほど同行して周遊し、深い交友を結んだ。翌745年に魯郡で別れたのち再び会うことはなかったが、とくに杜甫は李白のことを後年になっても懐かしみ、李白に関する20首近くの詩を残している。これに対し李白の杜甫に関する詩は4首で、詠んだ時期は2人の別れの時期に集中している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 14:11 UTC )

われ来たるついに何事ぞ
高臥(こうが)す沙邱城(さきゅうじょう)
城辺に古樹(こじゅ)あり
日夕(にっせき)秋声に連なる
魯酒(ろしゅ)酔うべからず
斉歌(せいか)むなしく情あり
きみを思うて汶水(ぶんすい)のごとく
浩蕩(こうとう)として南征(なんせい)を寄す



私はここへ何しに来たのだろう。
沙邱城では高枕して寝ているだけなのに。
城郭のはずれには古い樹があり
夕方には秋風につれて泣く
魯の酒は薄く酔えない
斉の歌はむやみやたらに感情ばかりかきたてる。
君を思えば汶水の流れのように、
広々と心は溢れ 南への思いがつのる。

(
沙邱城(さきゅうじょう)今の山東省臨済市)
(
魯酒(ろしゅ))薄くてまずい酒、魯は山東省春秋戦国時代の小国
(
)今の山東省一帯を領した春秋戦国時代の大国
(
汶水)魯山に発し西南に流れる川
(
浩蕩)広く大きなさま、うれいの大きく広がるさま

詩吟

 


2023年9月 6日 (水)

南のかた夜郎(やろう)に流されて内(つま)に寄す 李白

755年安史の乱が起こり李白は金陵(南京)―廬山と逃れたが、尋陽で捕まり牢獄に。
はるか南の地、夜郎(貴州省北部)に流罪となり、その途中の作、7598月、白帝城付近
で恩赦を知る。宋夫人に送った詩。

夜郎の天外離居を怨み
名月の楼中音信疎なり
北雁(ほくがん)春に帰って看()すみす尽きんと欲す
南来(なんらい)に得ず豫章の書

わたしは天の涯なる夜郎へと流され、お前と離れた暮らしを嘆いている。
名月が高殿を照らしているが、お前からの手紙は長く途絶えている。
北から来た雁も春には帰って行き、その姿もまもなくみられなくなる。
豫章にいるお前の手紙を、南の夜郎まで運んでくれない。

(
(つま)) 李白晩年の妻宗氏
(
寄す)離れた人に送る事
(
天外)この世の果て
(
離居)妻と離れて暮らすこと
(
)手紙があまり届かないこと
(
北雁(ほくがん))北からの手紙を運ぶ雁、前漢時代、将軍蘇武の故事による
(
南来) 南へ雁が帰っていくこと
(
豫章の書)豫章は江西省南昌市、妻宗氏がいたところ、豫章からの手紙

詩吟

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2023年6月25日 (日)

友人と会宿す 李白

滌蕩(てきとう)す千古の愁い
留連(りゅうれん)す百壺(ひゃっこ)の飲(いん)
良宵(りょうしょう)宜しく清らかに談ずべし
皎月(こうげつ)未だ寝(いぬ)る能わず
酔い来たって空山に臥せば
天地即ち衾枕(きんちん)なり

千古の昔からの愁いを洗い流そうと
一緒に居座って百壺もの酒を飲み続ける
こんなに素晴らしい夜は清らかに語り合うのがふさわしい。
白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれない。
すっかり酔っぱらって人気(ひとけ)のない山中に寝そべれば
天と地がそのまま布団と枕だ。

(
会宿)集まって一緒に泊まること
(
滌蕩(てきとう)) 洗いすすぐこと。けがれを洗い清めること
(
留連(りゅうれん)) 同じ所にいつまでもとどまること
(
百壺(ひゃっこ))多くの徳利
(
良宵(りょうしょう))晴れた夜、眺めの良い夜
(
皎月(こうげつ)) 明るく照り輝く月
(
衾枕(きんちん))掛布団と枕

詩吟 友人と会宿す 李白

 

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