漢詩と詩吟

2024年4月14日 (日)

柳本吟扇先生の永眠

2024年410日に詩吟の先生が亡くなられたとの手紙が届いた。
お元気に暮らされていた先生が他界されるとはびっくり。

先生には大変お世話になった。
先生は1995年に吟芳流吟扇会を発足された。
1997
年に定年退職した私は、車椅子の体で何か趣味を持ちたいと思っていた。
市の広報に詩吟の会会員募集の記事があり、家内と見学に行った。
1999
23日に入門し、爾来1415年先生からご指導を受けた。

先生は三つの教室を掛け持ちされ4050名の生徒を指導された。
教材はすべて先生の手づくりで筆手書きの原紙をコピーされ配られた。
勿論、節調も手書きだった。
教材は
①冊子の五言・七言絶句400
②冊子の五言・七言律詩 44
③一首ずつコピー用紙になったもの約250
④短歌集―110首のもの10冊位。(春の歌、秋の歌など)
⑤構成吟集―110首のもの3冊位(短歌と漢詩、歌謡曲や民謡と漢詩など)
⑥その他の詩吟集―数冊
と膨大なものだった。
今も大切に大きな袋に入れて保管し、月1Oさんと復習会を開きボケを防止している。

私の教室は7月に発足したので「ふづき会」と称した。
1回の勉強会、昇段試験、ほかの教室との合同の発表会や新年会を先生のご指導の下に行っていた。いい思い出だ。
勉強会では教本を1首ずつ先生が吟じられ、一人ずつ吟じさせられ指導を受けた。
さらに先生は各自のカセットテープに吹き込んで下さった。他の流派では録音厳禁とも聞いた。

2013
(平成25)1031日が銀扇会最後の吟詠大会となった。
この日の会主挨拶で、会場が改築すること、先生が転居されること、体調が芳しくないなど諸々の事情から、この日をもって会は解散しますとおっしゃられた。
この日の先生の吟詠は「小督の局 角光嘯堂」だった。素晴らしい吟であった。
ブログに吟を添付しました。お聞きください。

その後も電話や手紙で連絡していた。
賀状が来なくなったなあと思っていたら突然の訃報。
柳本銀扇先生、本当に長い間ご指導いただきありがとうございました。
お陰様で私にも「趣味は」と聞かれたら「詩吟です。」と答えられるものを身につけることができました。
2024
36日永眠された先生、安らかにお眠り下さい。
そして、2008年に逝った妻にお会いされましたら談笑して下さい。
20131031016
2013年10月25日先生の吟 

吟詠「小督の局 角光嘯堂」 

 

2024年1月 5日 (金)

令和6年新春吟詠二日目

新春吟詠二日目は1月3日のNHKFMで9:40~9:55の予定であったが、「第100回東京箱根間往復大学駅伝競走」を放送している。新春吟詠はどの時間帯かなと調べると4日の同じ時刻に変更となる。4日はディサービスに行ったので帰宅後らじる★らじるで聞く。
相変わらず師匠方々の美声に聞き惚れた。

「和歌 敷島の」 本居宣長

敷島の やまと心を 人とはば朝日に匂ふ 山さくら花

 

「雪梅」 方岳

梅有り雪無ければ精神ならず

雪有り詩無ければ 人を俗了(ぞくりょう)

薄暮 詩成って天又雪ふる

梅と併(あわ)せ作()す 十分の春

「事に感ず」  于濆(うふん)

花開けば 蝶 枝に満つ

花 謝(しゃ)すれば 蝶 還(また)稀なり

唯 舊巣(きゅうそう)の燕有り

主人貧しくも 亦(また)帰る

「和歌・後(おく)れなば」 河上弥市

(おく)れなば 梅も桜に 劣(おと)るらん 魁(さきがけ)てこそ  色も香もあれ

 

「新正口号(しんせいこうごう)  武田 信玄

淑気(しゅくき)未だ融(ゆう)せず 春尚お遅し

霜辛雪苦(そうしんせっく) 豈(あに)詩を言わんや

此の情(じょう)()ずらくは 東風に咲(わら)われんことを

吟断(ぎんだん)す 江南の梅一枝(うめいっし)

 

「三樹(さんじゅ)の酒亭に遊ぶ」 菊池 渓琴

(けむり)濃(こま)やかに山淡くして 晴沙(せいさ)に映ず

日(ひ)落ちて春楼(しゅんろう) 細雨斜めなり

朦朧たり 三十六峰の寺

箇箇(ここ)の鐘声 緩やかに花を出()

2024年1月 2日 (火)

令和6年新春吟詠

令和6年の新春吟詠はNHKFM9:409:55に放送された。
朝食はお正月のため遅くし、先ずはラジオを聞く。
プロの発声はいつ聞いてもうっとりする。

「和歌・田子の浦ゆ」 山部赤人

田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の髙嶺に 雪は降りける

「春流(しゅんりゅう)」  北條 時頼

春流(しゅんりゅう) 岸よりも高く

細草(さいそう) 苔よりも碧(みどり)なり

小院(しょういん)人の到る無く

風来たって 門自ずから開く

 

「春の花を尋ぬ」 菅 三品

五嶺(ごれい)蒼々(そうそう)として雲往来す

但(ただ)憐れむ大庾(たいゆう)万株(まんしゅ)の梅

誰か言う春色東(ひんがし)()り到ると

(つゆ)暖かにして南枝花始めて開く


「和歌・石ばしる」 志貴皇子

石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌え出づる 春になりにけるかも

「絶句 江碧(こうみどり)に」  杜甫

江碧にして鳥愈白し

山青くして花然えんと欲す

今春看(みすみす)又過ぐ

何れの日か是れ帰年ならん

 

「同前に和し奉る」     崔恵童

一月(いちげつ)主人笑らうこと幾回ぞ

相逢(あいあい)相値(あいあうて)(しば)らく杯(はい)を銜(ふく)

()に看()る 春色流水のごときを

今日(こんにち)の残花昨日開く

2023年12月23日 (土)

沙邱城(さきゅうじょう)下にて杜甫に寄す 李白

○李白と杜甫は中国最高の詩人として並び称される存在であり、また李白は杜甫より11歳年長であるもののほぼ同時代人である。
この2人は744年に洛陽で出会い、意気投合して山東や河南を中心に1年半ほど同行して周遊し、深い交友を結んだ。翌745年に魯郡で別れたのち再び会うことはなかったが、とくに杜甫は李白のことを後年になっても懐かしみ、李白に関する20首近くの詩を残している。これに対し李白の杜甫に関する詩は4首で、詠んだ時期は2人の別れの時期に集中している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 14:11 UTC )

われ来たるついに何事ぞ
高臥(こうが)す沙邱城(さきゅうじょう)
城辺に古樹(こじゅ)あり
日夕(にっせき)秋声に連なる
魯酒(ろしゅ)酔うべからず
斉歌(せいか)むなしく情あり
きみを思うて汶水(ぶんすい)のごとく
浩蕩(こうとう)として南征(なんせい)を寄す



私はここへ何しに来たのだろう。
沙邱城では高枕して寝ているだけなのに。
城郭のはずれには古い樹があり
夕方には秋風につれて泣く
魯の酒は薄く酔えない
斉の歌はむやみやたらに感情ばかりかきたてる。
君を思えば汶水の流れのように、
広々と心は溢れ 南への思いがつのる。

(
沙邱城(さきゅうじょう)今の山東省臨済市)
(
魯酒(ろしゅ))薄くてまずい酒、魯は山東省春秋戦国時代の小国
(
)今の山東省一帯を領した春秋戦国時代の大国
(
汶水)魯山に発し西南に流れる川
(
浩蕩)広く大きなさま、うれいの大きく広がるさま

詩吟

 


2023年9月 6日 (水)

南のかた夜郎(やろう)に流されて内(つま)に寄す 李白

755年安史の乱が起こり李白は金陵(南京)―廬山と逃れたが、尋陽で捕まり牢獄に。
はるか南の地、夜郎(貴州省北部)に流罪となり、その途中の作、7598月、白帝城付近
で恩赦を知る。宋夫人に送った詩。

夜郎の天外離居を怨み
名月の楼中音信疎なり
北雁(ほくがん)春に帰って看()すみす尽きんと欲す
南来(なんらい)に得ず豫章の書

わたしは天の涯なる夜郎へと流され、お前と離れた暮らしを嘆いている。
名月が高殿を照らしているが、お前からの手紙は長く途絶えている。
北から来た雁も春には帰って行き、その姿もまもなくみられなくなる。
豫章にいるお前の手紙を、南の夜郎まで運んでくれない。

(
(つま)) 李白晩年の妻宗氏
(
寄す)離れた人に送る事
(
天外)この世の果て
(
離居)妻と離れて暮らすこと
(
)手紙があまり届かないこと
(
北雁(ほくがん))北からの手紙を運ぶ雁、前漢時代、将軍蘇武の故事による
(
南来) 南へ雁が帰っていくこと
(
豫章の書)豫章は江西省南昌市、妻宗氏がいたところ、豫章からの手紙

詩吟

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2023年6月25日 (日)

友人と会宿す 李白

滌蕩(てきとう)す千古の愁い
留連(りゅうれん)す百壺(ひゃっこ)の飲(いん)
良宵(りょうしょう)宜しく清らかに談ずべし
皎月(こうげつ)未だ寝(いぬ)る能わず
酔い来たって空山に臥せば
天地即ち衾枕(きんちん)なり

千古の昔からの愁いを洗い流そうと
一緒に居座って百壺もの酒を飲み続ける
こんなに素晴らしい夜は清らかに語り合うのがふさわしい。
白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれない。
すっかり酔っぱらって人気(ひとけ)のない山中に寝そべれば
天と地がそのまま布団と枕だ。

(
会宿)集まって一緒に泊まること
(
滌蕩(てきとう)) 洗いすすぐこと。けがれを洗い清めること
(
留連(りゅうれん)) 同じ所にいつまでもとどまること
(
百壺(ひゃっこ))多くの徳利
(
良宵(りょうしょう))晴れた夜、眺めの良い夜
(
皎月(こうげつ)) 明るく照り輝く月
(
衾枕(きんちん))掛布団と枕

詩吟 友人と会宿す 李白

 

2023年4月23日 (日)

荊門を渡りて送別す 李白

○李白自身が荊州で人と別れて旅に出て来た作「留別」の詩

渡ること遠し  荊門の外
来たりて楚国に従()りて遊ぶ
山は平野に随いて尽き
(かわ)は大荒(たいこう)に入りて流る
月下りて天鏡飛び
雲生じて海楼を結ぶ
()お憐れむ故郷の水の
万里行舟(こうしゅう)を送るを

遠く荊門山の外にまで長江を下り
これからは楚の国を遊覧するのだ
山々は平野の出現につれて消えゆき
長江は果てもない空間の中を流れて行く
月が沈んで行けば天空の鏡が飛ぶかと見え
雲が沸き上がれば海上の蜃気楼が現れたかのよう
なおしみじみと懐かしい故郷から流れ出た長江の水が
万里遠く旅の舟を送ってくれることだ

(
荊門)荊門山のこと、「楚国の西の塞」のおもむきをそなえている
(
)通過すること
(
)長江
(
大荒)広大な空間
(
天鏡)天空に輝く鏡のような月
(
海楼)蜃気楼
(
憐れむ)愛おしむ、心ひかれる
(
故郷の水)故郷の蜀の国から流れて来た長江の水
(
行舟)旅の舟

詩吟 荊門を渡りて送別す 李白

 





2023年1月29日 (日)

晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す 李白

○李白は晁卿衡(阿倍仲麻呂)と長安で出仕しい頃に知り合ったのであろう。仲麻呂は天宝12年、遣唐大使の藤原清河に従って帰国の途についたが、途中暴風にあい、安南(ベトナム)に漂着し再び長安に戻って仕え、ついに日本に帰らず没した。李白は仲麻呂が死んだとの誤報を受けこの詩を作った。
○阿倍仲麻呂〈698 - 770年)は、奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。唐名を「朝衡/晁衡」(ちょうこう)とする。唐で国家の試験に合格または推挙で登用され唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。

日本の晁卿(ちょうけい) 帝都を辞し
征帆(せいはん)一片(いっぺん) 蓬壷(ほうこ)を繞(めぐ)
明月帰らず 碧海(へきかい)に沈み
白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ

日本の晁衡は都長安を去り
一そうの帆かけ船に乗り、蓬莱をめぐって去っていった。
清らかな月のような晁どのは、青い海に沈んで帰らぬ人となった。
白い雲が愁いを帯びて蒼梧の海に広がっている。

(
晁卿衡(ちょうけいこう))阿倍仲麻呂のこと
(
征帆)征く船
(
蓬壷(ほうこ)) 東海の果てにあるという蓬莱山のこと。ここでは日本を指す
(
(めぐ)) 曲がりくねりつつ、進むこと
(
蒼梧(そうご)) 中国の南方を指す

詩吟 晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す 李白

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阿倍仲麻呂

2023年1月27日 (金)

労労亭の歌 李白

○天宝8(749)、金陵にいた時の作と思われる。
労労亭は金陵(現在の南京市)の南にあり東晋(317-420)の時に建てられた。
新亭ともいう。送別の名所となっていた。

金陵労労客を送るの堂
蔓草(まんそう)離離(りり)として道傍(どうぼう)に生ず
古情尽きず 東流の水
この地悲風白楊を愁えしむ
我素舸(そか)に乗じて康楽に同じく
朗詠す清川(せいせん)に夜霜(やそう)を飛ばすを
昔聞く牛渚(ぎゅうしょ)に五章(ごしょう)を吟ぜしを
今来たって何ぞ謝せん袁家(えんか)の郎
苦竹(くちく)寒声秋月を動かし
独り空簾(くうれん)に宿すれば帰夢(きむ)長し

金陵の労労亭は、旅人を送る館
雑草が道端に生い茂っている。
懐古の情は、東流する長江に似て尽きることはない。
この地に秋風が白楊を愁わしげに吹き付けている。
私は謝霊運と同じように飾りのない船に乗り
「清らかな川に夜の霜が飛ぶ」と朗詠する。
昔、謝尚は牛渚で袁宏が「詠史詩」五章を朗詠するのを聞いた。
私は今ここへ来て、袁宏に挨拶しょうにもその人はもういない。
苦竹に風が寒々と吹き、秋の月光の中に揺れるだけ。
独り誰もいない部屋に泊まって、故郷への夢を見続けるのだ。

(
蔓草(まんそう)) はびこる草
(
離離(りり))草木が繁茂しているさま
(
道傍(どうぼう))みちばたのこと
(
悲風白楊)古詩十九首その十四に「白楊に悲風多く」とある
(
素舸(そか))飾りのない船
(
康楽)六朝宋代の詩人、謝霊運のこと
(
昔聞く牛渚(ぎゅうしょ)に云々)以下の故事、謝尚が牛渚に駐屯していたとき、秋の月夜の機におしのびで船遊びに出かけたところ、袁宏が詩を朗唱しているのに出くわした。謝尚は袁宏が歴史を詠んだ詩作に優れていることを知ると、船に上ってかれを迎え、朝まで寝ずに語り合った。
(
牛渚(ぎゅうしょ)) 中国、安徽省当塗県にある淵の名。牛渚山の山麓が長江に突き出した景勝の地
(
詠史詩) 歴史故事に題材を求めた中国の詩
(
袁家(えんか)の郎)袁宏(328年頃 - 376年頃)のこと、東晋の文人・歴史家。『後漢紀』の編纂者として知られる
(
苦竹(くちく))竹の一種

詩吟 労労亭の歌 李白

 

2023年1月15日 (日)

清渓の行(うた) 李白

○李白534歳頃の作、清渓は秋浦の北5里にある川。その名に背かず清らかで俗っぽい心を洗い清めてくれる。

清渓は我が心を清くす
水色(すいしょく)諸水(しょすい)に異なる
借問す 新安江(しんあんこう)
底を見ること此(ここ)と何如(いかん)
人は行く明鏡の中(うち)
鳥は度(わた)る 屛風の裏(うち)
(くれ)に向(なんなん)として猩々(しょうじょう)啼き
空しく遠遊子(えんゆうし)を悲しましむ

清渓は私の心を清くする。
水の色が他の川と異なっているから。
ちょっとお尋ねしますが新安江は
底が見えると言いますが、この清渓とくらべてどうですか
人は美しい鏡の中を進むようであり
鳥は高い屛風を渡り飛んでいるかのようだ。
夕暮れともなると猩々が啼き
遠く旅をしている私を悲しませる。

(
(うた)) 楽府(がふ)の「詩・歌」の意
(
新安江) 浙江省の大河浙江の上流部分
(
猩々)大型の猿、チンパンジーか
(
遠遊子(えんゆうし)) 故郷から遠く離れた旅人

詩吟 清渓の行(うた) 李白

 

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